赤毛のアン・シリーズ 3:アンの愛情

アンの愛情 赤毛のアン・シリーズ 3 (新潮文庫)

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レドモンド大学での学生生活編。
ギルバートへの気持ちが、友情から愛情へと変わるまでのもどかしさ(誤解・思い込み・好き避け…)の描かれようが、何とも素晴らしい。最後の最後、ギルバートが生死を危ぶまれる病に罹ったと伝え聞き、眠れぬ夜を過ごした翌朝、ギルバート持ち直したと知ったアン。

その朝は霧と光明に溢れた盃のようであった。
古い、素晴らしい真理の本である聖書の句が唇にうかんできた。
「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びがくる」(訳注 旧約聖書詩篇30章5節)

病が快癒したギルバートは、アンを訪ねて散歩に誘うが、アンにはどうしてもはずせない用事があったため、翌日に会う約束をする(急展開→即答をしないこの「1日」の焦らしがエピソードとして効いている!)。次の日の、美しいアン。

暁のように生き生きと星のように美しく、ギルバートを待ち受けていた。
アンはグリーンの服をつけていた。
ギルバートがレドモンドのレセプションで特に好きだと言った古い服だった。
その緑はアンの髪のゆたかな色や、星のような灰色の目や、アイリスのように美しい皮膚を引き立てていた。

2年前には拒絶したプロポーズをようやく受け入れたアンだけれども、この日よりも前に、アンはすでに自分の本心を認めていた。
卒業式のためにロイ(アンが「愛している」と思い込もうとしていた相手)から送られたすみれを打っちゃり、ギルバートから送られたすずらんを身に着けて晴れ舞台に立ち、更に、ロイからのプロポーズ(美辞麗句)も断っていた。しかし、ギルバートは美貌のクリスチンと恋仲だと思い込み、ならば自分はオールドミスになると健気にも決意をしていたのだった…が、すっかり誤解が解けてハッピーエンド。良かった。

他に、印象に残るエピソードを挙げるなら、幼馴染のルビー・ギリスの死だ。少女の頃から華やかで陽気で、恋愛遊戯にしか興味を示さないちょっと浅はかなルビーは、読者にとってもおよそ死とは結び付かない。不治の病であることを村人全員が承知しているのに、アンとダイアナが訪ねると、男友達・女友達に囲まれて、音楽会やパーティやドレスの話をし、秋には再び小学校の教員に復帰するつもりでいると、さんざんおしゃべりして笑う。
後日、アンが訪ねたふたりきりの庭で、アンに、死ぬのが怖いと打ち明けるルビー(自分の死期をとっくに知っていて、しかし降参しまいと必死に抗っていた)に、気休めの嘘を言わないように、慎重に言葉を選んで応じるアン。ルビーが語る、叶えたかったのに叶えられなかった夢、ひとりで死にゆく悲しみや怯えは、どれもこれもまさに真実だった。
ルビーの葬儀での、ルビーの遺体の美しさにかかる描写(208p)は、長いのですべて引用はしないが、非常にキリスト教的で、人間の尊厳への誠実なまなざしが見られる。

ルビーはもとから美しかったが、その美は地上的であり、俗っぽかった。あたかも見る者の目に見せびらかすような傲慢なものを含んでいた。精神的な輝きもなく、理知の洗練も経ていなかった。しかし、死がそれに触れ、清め、優雅な肉づきとこれまで見られなかった清純な輪郭を残したー人生と愛と大きな悲哀と女の深い喜びがルビーの上に与えたかもしれぬ変貌を死が果たしたのである。

もうひとつ。ダイアナの親戚のアトッサ伯母さんのキャラ(猛烈な毒舌・嫌味・独善)には笑った。こういうキャラを挟んでくるところが絶妙、効いている。

【ツブヤキ】
以前、『アンという名の少女、Anne with an E』(Netflix)を本当に楽しみに観ました。シーズン3で打ち切りということは知っていたので「ロス」になること必至…と覚悟しつつ最後まで観ました(そして「ロス」になりました)。ただ、最後、アンとギルバードの相思相愛をふたりが認識するまでの過程が、ばたばた過ぎて残念でした。原作のもどかしさ(特に、アンの)、奥ゆかしさ(特に、ギルバードの)が、損なわれてしまった…。