口の立つやつが勝つってことでいいのか

口の立つやつが勝つってことでいいのか

新品価格
¥1,980から
(2024/8/22 20:33時点)

「文学紹介者」という控えめなプロフィールの著者に、本作にて紹介していただいた、カート・ヴォネガットという作家の「作品の核心」。

「愛は負けても親切は勝つ」

ヴォネガットは、親切の大切さをあちこちで語っている。

わたしが知る唯一のルールというのはだね

人に親切にしなさいってことだ。

負ける勝つは、言葉のアレだけれど。
「愛する/愛される」よりも「親切にする/親切にされる」のほうが優先されてしかり。…こんな解釈だろうか。

著者も述べている。

もし、人に愛されなくては生きていけないとしたら、これはとてもじゃない。
生きていける気がまったくしない。
愛してくれなんて図々しいことを願う気持ちはないが、
親切にはしてほしいと、すごく思う。

ヴォネガットは、親切を、「愛よりは少し軽いもの」と言っている、とのこと。

確かに、親切は愛よりは少し軽いかもしれないけれど、180度対極ではもちろんなく、45度でもなく、12度くらいの差という理解でどうだろう。キリスト教的に言えばもしかしたらもっと僅差かもしれない。愛は難解だ。愛という名のもとに戦争は起きるし、愛ゆえに人を傷つけもする。偏愛・溺愛・愛憎…など、執着という意味では愛はマイナス要素だ。そもそも相手を問わずに他者を愛することは難しい。特に自分をいじめるヤツを愛するなんてできない。対して、親切は概ねいつもプラスの意味をもつのではないか。親切なら、いじめの加害者に対しても何とかできる気がする。親切は、通りすがりの人にも、家族にも、同僚にも、恋愛対象にも、友達にもできる。さわやかで感じがよく、あとくされも押しつけがましさも少ないだろう。殺人につながる親切というのはあまり聞かない。親切は人として正しい行為と思えて、他者に親切にできる自分を素直に喜べる気がする。
他者に親切にしたいし、されたいと、心底思う。それでいいなら、実行して生きていける気がする。救われる気がした。